Mustは何か

 

設計依頼があり、その仕様書が来る。

その際、必要なことは何だろうか?

 

まずは、読むこと。斜め読みせず、隅から隅まで丁寧に読み返そう。

そして、その内容を自分なりにまとめること。

 

それはどうゆう目的で使われるのか、どのように使われるのか、どのような環境で使われるのか、耐用年数はどれだけを想定されているのか、いつ必要なのか、どれだけ必要なのか等を読み出し、まとめる。

仕様の条件をまとめ、矛盾がないか、出来る内容なのかをまとめる。つまり、仕様の精査をする必要がある。

 

たいていは、この時点でいくつかの問題が見つかる。依頼先に確認をすることになるが、この時、「マスト絶対に必要な条件)は何か、各項目の優先順位は何か」を必ず聞いておく必要がある。

おそらく、要求された仕様を全て満足させることはできない。論理的にできない、自社の技術や設備ではできない、コストや納期的に難しい等があり得る。

 

となれば、何を取り、何を捨てるか、という取捨選択が必要になる。依頼先に、マストの条件を確認するのは当然として、使用目的使用方法も知っておく必要がある。そうでないと、過剰品質またはその逆にもなりかねない。

安かろう悪かろう

 

家のシロアリ予防の工事を行った。

これまでも防虫対策工事は行ってきていたが、今回は依頼する業者を変更した。

以前の業者に委託した経緯は、当時、私が家にいなかったこともあり詳細は不明だが、費用が安かったためらしい。世間相場のほぼ半分であったとのこと。

 

何か不審な感じがしたので記録を調べようとしたが、見積もりもなければ、調査記録や工事記録もない。床下に潜って作業はしていたとのこと。玄関の柱の一部に穴をあけた跡があり、軒先に工事済のステッカーが貼られている。工事後の定期点検のようなものはなく、5年経過後に再工事の打診が来るとのことだ。

 

業者について調べてみたが、WEBサイトはなく、「日本シロアリ対策協会」の会員名簿にも見当たらなかった。わかるのは電話番号だけであった。

 

好ましいとは思えなかったので、工事業者を変更した。

事前調査と見積もりを依頼したところ、以前の業者の手抜きが見つかった。柱に穴をあけ薬を注入したところにする栓(キャップ)は、見えるところだけにしかされていなかった。本来対策が重要な水回りであるトイレのようなところであっても、面倒で手間のかかるところには工事がされていなかった。このことは、今回の事前調査を行った際に撮影された写真で確認できた。

 

何のことはない。手抜きをして工数を減らしていたので世間相場の半額で工事が出来ていたのだ。もちろん、施工後の保証をうたった文書はなく、点検もない。

 

この件からもわかることは、あまりにも安いものには それなりの理由があるということだ。

何も考えずに安さだけを求めると、足元をすくわれてしまう危険がある。モノであればその原価を、作業であればその時間と工賃を考えれば、それらを大幅に逸脱した金額は何かあると思わなければいけない。何かが省かれているはずなのだ。見えない部分の手抜きは、性能、耐久性、安全など、何かに問題を抱えている、あるいは将来問題が発生する可能性が高くなっている。

 

製品あるいはサービスに見合った価格なのかどうか、高すぎないか安すぎないか、よく考えてみるべきだろう。

未完成品

 

通信機器のサービスエンジニアをしていた何十年も昔の話である。

 

新製品が次々と出されるのだが、やたらトラブルが多い。

障害コールが一日に何件もあり、その対応だけで毎日が忙殺されていた。修理しても修理しても、また再発して呼び出しを受ける。その場の対処だけで根本的に直っていないのだ。

そして半年~1年して、対策部品が出され始め、12年かけてようやく落ち着く。

これが出る新製品ごとに繰り返されていた。

 

ある時、新製品の技術講習の場で、講師をしていた製品の設計チームの一人がポロっと言った。

「時間の制約もあり、製品を80%程度の完成度で出さざるを得なくなっています。迷惑をかけて申し訳ないが、よろしくお願いします。」

なんと、未完成の製品を確信犯で世に出していたのだ。

 

現在のようにソフトウェアをバージョンアップして書き換えて対応などできない頃の話だ。対応は、ハードウェア、現地での部品交換か調整である。

タイムリーに新製品を市場に投入していたのは良いのだが、未完成で出荷し、その後始末対応をサービス部門に任せたのは、妥当な選択だったのだろうか?

 

ここで。ちょっと見方を変えて見てみたい。

当時は今と異なり、新しい技術を使った製品が次々に世に出た。今より製造業が活況だった。完璧でなくても、ある程度使用可能となれば、発売していた。ある意味、怖いもの知らずの若さ・元気さがあったのかもしれない。

逆に現在は、完璧を目指すあまり、新製品が生まれにくくなっている。ある程度見切りが付いたら、完璧でなくても世に出し、それをアップデートしていくという考え方も必要だと思う。それがイノベーションにつながるのではないだろうか。

足し算の発想と引き算の発想

 

何かを考える場合、足し算の発想と引き算の発想がある。

足し算の発想は、「○○をしましょう」という推奨の発想である。それに対し引き算の発想は、「○○をしてはいけません」という禁止の発想である。

 

どちらが良いのだろうか。もちろん一長一短があり、どちらか片方では困るので両方必要だ。どちらかに偏るのではなく、バランスが大事ではある。

 

日本人の発想を見ていると、引き算の発想が多すぎるように感じる。

公園で、「木の枝を折ってはいけません」とは書かれていても、「木を大切にしましょう」という記述はあまり見ない。

仕事をする場合でも、失敗を先に考えてしまって前に進めない。

業績評価においても、成し遂げた場合は別として、挑戦したことより失敗したことに注目する。そのため、新しいことに挑戦して失敗するより、何もせずにやり過ごすことが選ばれがちになる。

給与を上げることより、物価を上げないことを優先する。結果として、実質賃金の目減りを招いてしまっているのが昨今の状況である。

 

引き算の発想が限度を超えると、その原資を食いつぶしていくことになる。原資がゼロになれば、引けなくなる。物価を上げないために人件費を下げ続ければ(一部の企業ではこれを企業努力と言っている)、最終的に人件費をゼロにしなければならなくなる。つまり、材料費等が上がり続ければ、その分人件費を削ることになり、材料費等と価格が同じになれば人件費はゼロである。引き算だけで発想すれば、このようになる。

 

足し算の発想でいけば、材料費が上がれば価格に転嫁し、それにより物価が上昇するので従業員の給与(=人件費)も上げる。従業員は消費者でもある。価格を上げても購入してもらうには、消費者の収入を増やす必要がある。これが市場原理である。

 

人の評価においても、失敗しなかったことより、たとえ失敗しても挑戦した人を高く評価するべきである。失敗しても、それから何かを学んで再度挑戦することが大切なのだ。

むしろ、失敗を恐れて何もしなかった人を減点すべきではないか。

 

経済を活気づけるには、足し算の発想を増やすことが大切ではないだろうか。

トライアスロン練習会

 

今年も、所属しているトライアスロンチームの練習会が始まった。

チームといっても、トライアスロンは個人競技なので、参加は自由、練習内容も各自の判断で行う。一応、標準として練習コースや距離(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)は決めてあるが、各自の判断で距離の増減は自由、種目も必ずしも3種目しなくてもよく、2種目あるいは1種目だけでもOKだ

参加費は不要だが、事故や怪我は自己責任である。要は、朝9時に集合して一緒に練習をするだけ。

なぜそんなことのために時間を決めて集合して、という疑問がわくかもしれないが、みんなで一緒に練習するとモチベーションが上がり、競争心が刺激され、真剣になることで練習効果が高まる。皆で集まって話(雑談)をするのも楽しみの一つだ。

 

練習会は、トライアスロン大会のシーズンに合わせて、5月から9月の初めまでの日曜日に行う。例年、5月の最初は海の水が冷たい。ウエットスーツを着て泳ぐのだが、それでも露出している手や足はしびれるほど冷たく感じる。一般的に海水温は気温の1か月遅れといわれている。つまり5月とはいっても、水温は4月の気温なのだ。

ところが今年は違った。入水する時こそ、やや冷たく感じたが、泳ぎ始めると全然冷たくないのだ。暖かい(=冷たくない)水温のおかげでスイムは快適だった。

 

ひょっとすると、地球温暖化による海水温の上昇が起こっているのだろうか。もしそうなら、喜べない状況だ。

近年、日本近海で獲れる魚の種類が変わってきていると聞く。北海道ではサンマの漁獲量が減り、ブリの漁獲量が急増しているとのこと、これまでは長崎県や島根県といった南の方で獲れていたものなのだが。

練習としては良かったが、少し考えさせられることでもあった。

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