税務調査

 

今回は税務調査の話だが、私が調査を受けたというのではない。会社員をしていた頃、ある研修で知り合ったグループ会社の人の話だ。

 

彼は、家を新築して引っ越したばかりだった。そんなある日、仕事を終えて帰宅すると、「税務署が調査に来た」と奥さんがオロオロしていたとのこと。予告なしで来たらしい。

通常、一般の会社員に税務調査が入ることはない。税金は給与から天引きされている。彼の場合、奥さんは専業主婦でパートやアルバイトもしていないので、申告漏れが発生することもないはず。

原因になりうるとすれば、家の新築か。しかし、銀行からお金を借りて返済していくローンを組んでおり、手続きも専門業者が行っていて問題ないはずだった。

 

なにも問題はなかったのだが、発端は近所の人の税務署へのタレコミだったとのこと。

実は彼、中古の車を買ったのだが数日で故障して、代車を借りていた。運がよかったのか悪かったのか、修理に出したディーラーにベンツしか車が空いていなくて、それが代車になった。

ところが、そんな事情を知らない近所の人は、「家を新築して、新車のベンツまで購入した。急に羽振りが良くなった、怪しい。」と思ってしまい、タレこんだ。

税務署が調べると、彼の実家は酒屋であることがわかった。税務署は、実家の酒屋からお金が流れ、住宅や車の購入に使われたのではないかと疑った。

 

「住宅の資金は自分で貯めた頭金とローンであり、車は代車ということで、嫌疑は晴れたのだが、実に迷惑なことだった。」と、彼は言っていた。

技術的な了見が狭いボス

 

ある時、所属していた設計部門の責任者が替わった。そして、ある変化が発生した。

 

新たな設計を始めるには、方針、方法、計画を責任者である彼に説明することになったのだが、それらがほとんど却下される。そして、方法を彼の方から押し付けられる。

社内にそこまで発想を規制したルールはない。何のことはない、彼の好む方法、理解できる方法でしか設計できなくなってしまったのだ。斬新なアイデアはほぼ却下されてしまった。

 

ただし、新人は喜んだ。方針、方法、手順を示してくれるので。それらを考えなくてもよくなった。示された筋書きに沿って進めていけば。とりあえず設計できてしまう。

 

彼が示す筋書き(方針、方法等)に沿っていれば、設計業務をこなすことはできるので、ある意味楽だ。しかし、これでは新しいアイデアは生まれず、技術者としての能力も向上しない。設計能力が彼の理解の範疇に留まってしまい、それを越えられなくなってしまう。

 

確かに、他の部門と異なり、設計部門の責任者は大変である。絶えず新しい仕様やそれに関する新技術が持ち込まれ、本人の理解を超えることが多々発生する。通常のルーチン作業ではないのだ。

しかし、だからこそ部下の自主性、発想を認めなければならない完全に理解できなくても、それを承認し、何かあったときには責任を取らなければならないという理不尽さはある。だが、それをしないとその会社の技術的な成長は望めない。

 

追)このことが遠因となり、私は社を去ったので、その後についてはわからない。

「出来る/出来ない」と「やる/やらない」は別

 

製品を開発・設計し製造するにおいて、「実際にどこまでやるのか?」ということがある。

理論的に製作可能、設備・能力的に製作可能であっても、実際にその仕様で製作するとは限らない。

 

「出来るけれど、やらない」理由は多々あり、状況により異なる。

コストの問題、納期の問題、派生製品のスケジュールの問題、他の製品との問題、競合他社との問題、等々あり、これに営業的・戦略的な事柄が絡む。

 

ある製品において、変更の話が出ていて、それを実施するか否か、実施するならいつするか、が検討されていた。この件について、営業が納入先の顧客に説明をしていたのだが、うまく説明できていなかったようで、顧客から直接設計部門である私のところに電話が来たことがあった。

理論的に出来ることは説明できるのだが、実施の有無や時期については即答できない。この時は、コストの問題以外にも、部品在庫の問題が絡んでいた。

結局のところ、こちらは設計部門であるので、技術的に可能であることは説明できるが、それ以外については回答できないことを伝え、技術的・理論的な説明のみで了承いただいた。

リカレント教育

 

リカレント教育に関するセミナーがあったので、参加してみた。

人生の健康とリカレントという医学的な立場からの話の後、大学や短大・高専等4つの教育機関のリカレント器養育への取り組みについて説明があった。それぞれの器養育機関が様々な取り組みをしており、それぞれ何かの問題を抱えているとのことだった。

 

話を聞いていて、気になったり、考えさせられたりすることがあった。

気になったのは、リカレント教育と生涯学習を混ぜこぜにして語られることが何度かあったことだ。リカレント教育は、社会人がその途中で学びなおしをすることによって、新しい知識やスキルを得て、自分の職業人生に活かせることを目的としている。それに対し、生涯学習はその人の生涯を豊かにするために学び続けようとするもので、目的が違う。内容や取り組み方法も同じにはできない。

 

問題点として共通しているのが、時間の取れない社会人に対する対面教育の難しさである。具体的に話された内容だと、2部(夜間)の授業とはいっても17:50開始のため、出席が困難になるとのこと。毎日完全な定時退社をして授業に間に合わせるのは確かに難しいと思う。働き改革と言われているが、現実として毎日定時退社を続けるのは難しいだろうし、気も引けるだろう。履修年限を長くする、土日に授業を設けるなどの工夫もあるようだが、公立の教育機関ほど制約が多いとのこと。

欧米では、一度仕事を離れて学びなおしをするというスタイルが多くあるとのことだが、日本の場合それができにくい環境にある。退職をして学びなおしをすれば、時間は十分に取れるが、そのあとの就職が不安になる。かなり一般的になってきたとはいえ、転職に対するハードルは高い。休職をしてとの方法もあるが、勤務先でその許可をえるのは簡単ではない。

対面授業ではなく、通信教育、オンライン・オンデマンドといったウェブの利用であれば、ある程度時間の問題は軽減できる。しかし、効果を考えれば、対面に勝るものはない。私も一度リカレント教育を受けている。技術者として働きながら、マネジメントを学ぶために大学に編入学した。受講方法は通信教育、これしか時間が取れない。テキストによる自習、リアルタイムでのオンライン授業、オンデマンドによる授業、スクーリングでの対面授業があったが、一番よかったのは対面授業であった。教員と直接顔を合わせて話ができることに加え、他の受講生に囲まれると仲間意識ができモチベーションが上がるのだ。

 

人生100年時代といわれ、終身雇用も消滅しつつあり、科学技術の進歩による社会の急速な変化が起こっている。となれば。学びなおしであるリカレント教育は必須であり、教育制度とそれに対する社会の仕組み個人個人の考え方も変化していく必要があると思う。

一生安泰な職業・仕事

 

多くの人が考えている標準的かつ理想な生涯プランは、義務教育終了後、高校や大学に進学して進路を決めて勉強、その後就職してその職で職業人生を全うし、年金生活をする、というものであるようだ。

 

これが実現できれば、ある意味平穏な人生をおくれる。しかし、現実はどうであろうか。生涯の中で、一番長いのが職業人生、つまり働いている期間である。

 

社会は進歩し、必要とされる職業、仕事、スキルも変化していく。一生で働いている期間は40~50年程度と思われるが、その間に社会はどれだけ変化するだろうか。

社会が変化すれば、新しい仕事が必要となるだけでなく、不要になる仕事も発生する。例えば、自動改札機が誕生・導入されたことで、駅の改札の切符切りの仕事はなくなった。ワープロソフトが使えるPCを各自が持つようになり、タイピストは不要になった。ワンマンバスの運行で、車掌が不要になった。等々、多くの職業・仕事が消えている。

 

スーパーマーケットやコンビニエンスストアのレジが自働化されつつある。銀行は窓口業務を減らそうとしている。受付が無人の企業も増えてきている。AIの進歩で、定型業務が置き換えられるという話も出てきている。士業と呼ばれる人の業務も置き換えられるのでは、という予測も出ている。

 

こう見てくると、一度覚え身に付けたら一生安泰な職業・仕事はない。職に就き、苦労して得たスキルも陳腐化する時がやってくる。

となれば、その時に備えて次のスキルを身に着けておく必要があるだろう。スキルを身に着けるには時間がかかる。その時になってからでは遅いのだ。

失職者に対する職業訓練もあるが、それはスキルを身に着けるより、職を得ることが優先されており、もちろん内容の選択肢も少ない。将来を考えたスキルアップではなく、将来性に関係なく、とりあえず早急に職を得る手段でしかない。

 

現在の職・仕事が安定している内に、将来のためのスキルを得ておく必要がある。

接待費???

 

政界では裏金問題が言われているが、好ましくないお金の使い方とし一般の企業にもある。(現在はともかく、過去にそれを経験した。)

 

バブル期の頃、私はよく上司から小言を言われた。「お前は、接待費を使っていない。部下を連れて飲みに行け。そして領収書をもらってきて接待費で処理しろ」というのだ。

周りを見回すと、毎晩のように部下を連れて飲み歩き、それを接待費で落としている人が多数いた。

私も、部下を連れて飲みに行くことはあったが、自腹で払う以上そんなに頻繁には行けない。部下の分も支払うとなれば、月に数回が関の山であった。一度だけ、支払いがあまりにも高額になってしまい、しかたなく領収書をもらい会社に提出して処理したことがあったが、あまり気分の良いものではなかった。

 

そもそも、営業でもない技術職が客を接待することは、ほぼない。接待費を使わないことに何の不思議もない。社員同士がプライベートで飲みに行くのが接待だろうか?

当時はバブル期という世相もあったのだろうが、好ましくないお金の使い方、処理の仕方であったと思う。

越権行為と丸投げ

 「部署の垣根を越えて・・・」とは、よく言われる。垣根を越えての後には、「連携」「協力」「コミュニケーション」といった言葉が続く。

それらの範囲であれば問題ない、むしろ良いことなのだが、「部署の範囲を超えて・・・」が度を過ぎると越権行為に繋がる

 

実際にあった話だが、営業技術の人間が、対顧客との技術折衝だけでなく、価格交渉や見積作成を行い、社内においては、設計から外注交渉までしてしまっていたことがあった。

 顧客にとっては、技術的な話だけでなく、本来なら営業が担当する価格交渉から納期の話まで、一人の窓口でできるのだから利便性がよい。

社内においては、顧客と折衝して決めてきた仕様を確認する必要がなく、部材の調達や外注作業まで対応してくれるので、担当部署にとっては手間が省ける。(設計部門は実設計の手間が省け、部材調達部門は手配の手間が省ける)

ただし、実際の権限はないので、作成した書類に担当部署の担当者が書類作成者としてサインまたは捺印していた。

 

こんなことを続ければ、やがて問題が発生する。詳細な中身を誰も知らないので、営業技術である彼が間違ったり暴走したりしても止められなくなる。というか、間違いや暴走にも気が付かない

 どこかにシワ寄せが来ることはよくあったが、ある時とんでもないことが発生した。

仕様に対してあまりにも安い価格の見積もりを正式見積書として顧客に提出してしまった。見積価格をどのように決めたのかは、誰も相談を受けていないので不明、見積書に署名した営業は、中身を理解せずサインしていた。

これで製造すれば、大赤字間違いなし、ほとんど工賃が入っておらず、部材の調達費(購入品)だけでほぼ消える。作るごとに赤字が生まれる。

その後、担当営業と担当営業技術を変更して、顧客と再交渉して何とかした。(最終的に、問題を発生させた営業技術と営業は退職した)

 

部署の垣根を越えて協力し合うのは、各部署が仕事をきちんとこなした上での話であって、越権行為をすることでも、中身を理解せず丸投げすることでもない

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